嫉妬を、ツールとして捉えてみる

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嫉妬という感情は、できればなくしたい。

誰かを見て「あの人が羨ましい」と思う。

自分より楽しそうだったり、うまくいっていたり、欲しかったものを持っていたりする。

そんな姿を見ると、なんとなく嫌な気持ちになる。

別にその人が悪いわけではない。

むしろ、自分でも「なんでこんなことで嫉妬しているんだ」と思うこともある。

そう、自分に対して嫌になるのだ。

嫉妬してしまう自分に対して。つくづく嫌になる。

だから、嫉妬はあまり良い感情ではないと思っていた。

できれば嫉妬しない人になりたい。

人は人、自分は自分。

そう思っていられれば、たぶん楽だ。

でも、嫉妬について考えていると、少し違う見方もできる気がしてきた。

そもそも、嫉妬するということは、本当はまだ諦めていないということなのかもしれない。

「別に欲しくない」と思っているものなら、誰かが持っていても、そこまで気にならない。

ブランド物のバッグとか、自分にとっては別にどうでもよく思える。

でも、なぜか気になるときがある。

あの人を見ると自分に嫌な気持ちになる。

羨ましいと思う。

なんで自分は持っていないんだと思う。

それは、自分も本当は欲しいからなのかもしれない。

もう諦めたつもりになっていても、どこかにまだ残っている。

諦めたつもりだから、努力もしていない。

そのことについても嫌になる。ため息も出ない。

とにかく、他人がそれを持っていると、そこを刺激される。

嫉妬は「性格が悪いから出てくる感情」というだけではないのかもしれない、と見方を変えてみる。

すると、自分がまだ欲しいものを教えてくれている、とも考えられる。

もちろん、そんなふうに前向きに捉えられないくらい、嫌な嫉妬もある。

「あの人が羨ましい」という気持ちから、「あの人がいなければいいのに」みたいな感情まで出てくることもある。

そこまでいくと、かなり面倒くさい。

自分が嫌になる。

でも、その前に一度、

「自分は何が羨ましいんだろう」

と考えてみるのは悪くない気がする(余裕があれば)。

たとえば、仕事がうまくいっている人を見て嫉妬したとしても、欲しいのは「その人の仕事」そのものではないかもしれない。

評価されることかもしれない。

お金かもしれない。

自信かもしれない。

あるいは、周囲から認められている感じなのかもしれない。

恋愛でも同じで、誰かの恋人が羨ましいというより、誰かに大切にされていることが羨ましいのかもしれない。

楽しそうにしている人が羨ましいなら、自分も楽しみたいのかもしれない。

つまり、「あの人が羨ましい」の中には、

「自分もそれが欲しい」

という気持ちが隠れていることがある。

そう考えると、嫉妬する相手というのは、自分が欲しがっているものを見せてくる鏡でもある。

もちろん、だからといって嫉妬したほうがいい、という話ではない。

嫉妬は普通に嫌な感情だ。

頭の中にこびりついて面倒だ。

できることなら味わいたくない。

人と比べることで苦しくなるくらいなら、その場所から離れたり、その人を見ないようにしたりするのも全然ありだと思う。

ただ、嫉妬してしまったときに、

「なんで私はこんなに性格が悪いんだろう」

だけで終わらせるのは、少しもったいないのかもしれない。

「あの人が羨ましい」

と思ったなら、

「私は何が羨ましいんだろう」

と考えてみる。

その答えが分かれば、自分が何を欲しがっているのかも少し見えてくる。

そして、その中には、自分ではもう諦めたと思っていたものがあるかもしれない。

嫉妬は、なくしたほうがいい感情なのか。

今のところ、私にはよく分からない。

なくなったら楽だと思う。

でも、嫉妬するということは、自分がまだ何かを欲しがっているということでもある。

だったら、嫌な感情だからといって、全部消してしまう必要もないのかもしれない。

少なくとも、

「私はあの人の何が羨ましいんだろう」

くらいは思ってみても良い。

嫉妬は、自分の欲求を映し出す鏡、

嫉妬は、自分の欲求を炙り出すフィルター、

そんなふうに、ツールのように捉えてみる。

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