考えすぎる=ただの疲労

Uncategorized

考えても答えが出ないことに、どれだけ時間を使うのか。

何かを考えているだけなのに、疲れることがある。

体を動かしているわけでもないし、特別な作業をしているわけでもない。ただ頭の中で、あれこれ考えているだけ。

それなのに、気づけばぐったりしている。

しかも、何かが解決したわけでもない。

むしろ、考え始める前よりも気分が悪くなっていることすらある。

なんなんだ、これは。

考えるだけで疲れる

過去の出来事を思い返す。

誰かに言われた言葉を思い出す。

「あれは、どういう意味だったんだろう」

「もしかしたら、あの人は自分のことをこう思っているのかもしれない」

ひとつのことを考え始めると、次から次へと別の妄想や「if」がが浮かんでくる。

最初は小さな出来事だったはずなのに、いつの間にか、いろいろな可能性を検討している。

そして、同じことを何度も考える。

さっきも考えたし、昨日も考えた。なんなら、もう何度も考えている。

それなのに、また考えてしまう。

考えるたびに何か新しい発見があるならいい。問題の原因がわかったり、解決策が見つかったりするなら、考える意味もある。

でも、実際にはそうならないことも多い。

同じところを行ったり来たりしているだけで、何も進んでいない。

それでも頭は動き続ける。

そして疲れる。

考えることと、解決することは違う

そもそも、考えること自体が悪いわけではない。

問題を整理するために考える。失敗の原因を探るために考える。次にどうすればいいのか、対策を考える。

そういう思考は当然、必要だと思う。

ただ、考えることと、問題が解決することは別の話だ。

例えば、誰かに嫌なことを言われたとする。

なぜあんなことを言われたのか。自分に原因があったのか。それとも相手の機嫌が悪かっただけなのか。

考えれば、いろいろな可能性は出てくる。

でも、実際に相手が何を考えていたのかは、本人にしかわからない。

いくら考えても、確かな答えが出るとは限らない。

それどころか、考えれば考えるほど、悪い可能性ばかりが頭に浮かんでくることもある。

最初は「ちょっと嫌なことを言われた」というだけだったのに、気づけば「嫌われているのかもしれない」「自分は周囲からそういう人間だと思われているのかもしれない」と、話が大きくなっている。

事実は変わっていない。

変わったのは、自分の頭の中だけだ。

考えることで問題を解決するどころか、余計な問題を作り出している。

これは、なかなか厄介だと思う。

考えすぎると、余計なものまで見えてくる

人間は、ひとつの出来事に対して、いろいろな意味を与えることができる。

もちろん、それは便利な能力でもある。

物事を振り返って反省したり、先のことを予測して備えたりできるのは、考える力があるからだ。

ただ、その能力は必ずしも自分に都合よく働くわけではない。

考えれば考えるほど、余計な解釈が増えていく。

「あのとき、ああ言っていたということは……」

「そういえば、以前にも似たようなことがあった」

「ということは、もしかして……」

ひとつの出来事を起点に、いろいろな情報をつなぎ合わせていく。

そして、いつの間にか自分なりのストーリーが完成する。

もちろん、そのストーリーが正しいとは限らない。

ただ、自分の頭の中では、それなりに筋が通っている。

だからこそ厄介なのだと思う。

根拠の薄い想像でも、何度も考えているうちに、まるで確かな事実であるかのように感じられてくる。

そして、その想像によって落ち込んだり、イライラしたりする。

誰かに何かをされたわけでもないのに、自分の頭の中で何度も嫌な思いをする。

ずいぶんと割に合わない話である。

考えるのをやめればいい、という話でもない

では、考えなければいいのか。

まあ、それができれば苦労しない。

「もう考えるのはやめよう」と思っても、気づけばまた考えている。

考えないようにすること自体が、ひとつの考え事になってしまうこともある。

だから、完全に考えるのをやめるのは難しい。

ただ、考えていることに気づいたら、いったん別のことをしてみるくらいはできるかもしれない。

散歩をする。何かを食べる。動画を見る。部屋を片づける。

別に、立派な気分転換である必要はない。

頭の中で同じことを繰り返す代わりに、別のことに時間を使う。

それだけでも、少なくとも考え続けて消耗する時間は減らせる。

問題そのものが解決するわけではない。

でも、考え続けたところで解決しない問題なら、いったん放置してもいいのではないかと思う。

10分考えても答えが出ないなら

最後に、ひとつ基準を設けてみたい。

10分以上考えても結論が出ないこと。

そして、自分一人の能力や努力では解決できないこと。

こういうことを延々と考え続けるのは、かなり無駄なのではないだろうか。

もちろん、10分という時間に特別な根拠があるわけではない。問題によっては、10分どころか何日も何か月も考える必要があるだろう。

ただ、ここで言いたいのは時間の長さそのものではない。

ある程度考えても新しい情報が増えず、状況も変わらず、自分にできることも見つからない。

それなのに、同じことを何度も考え続けている。

それはもう、問題を解決するための思考ではないのかもしれない。

同じ場所をぐるぐると回り続けるモルモットに近い。

走っている。動いている。本人としては、一生懸命に何かをしている。

でも、景色は変わらない。

どれだけ走っても、同じ場所に戻ってくる。戻ってくるというか、移動していない。

考えることには、何かを前に進めるための思考と、ただ同じところを回り続けるだけの思考があるのだと思う。

前者なら、考える価値がある。

後者なら、いくら時間をかけても、疲労だけが積み上がっていく。

考えること自体に意味があるわけではない。

考えた結果、何かがわかったのか。何かを決められたのか。次に取る行動が見つかったのか。

そういうことのほうが大事なのだと思う。

考えすぎる自分を、無理に変える必要はないのかもしれない。

ただ、頭の中でモルモットが走り始めたら、少しだけ立ち止まってみる。

「これ、さっきも考えたよな」

「もう考えても、何も変わらないんじゃないか」

そう気づけるだけでも、少しは違うはずだ。

どうせ疲れるなら、せめて何かが前に進むことで疲れたい。

コメント