妬み(envy)と嫉妬(jealousy)の違いとは?

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「妬み(envy)」と「嫉妬(jealousy)」。

どちらも、誰かに対して嫌な気持ちになるときに使う言葉だ。

あの人がうらやましい。あの人ばかり得をしている。

こういう感情を、僕たちは日常的に「嫉妬」と呼んだり、「妬み」と呼んだりする。

正直、普段の会話では、それほど厳密に使い分けていないと思う。

でも、心理学では、この2つの感情は区別されることが多いらしい。

そもそも言葉が違うので、意味も違って当たり前だろう。

そして、その違いを考えてみると、なかなか面白い。

妬みは「相手が持っているもの」が気になる感情

心理学でいう妬み(envy)は、基本的に、

自分が欲しいものを他人が持っているときに生じる感情だ。

例えば、こんな場面。

同年代の人が、自分よりずっと稼いでいる。

友人が、自分よりいい家に住んでいる。

自分より容姿に恵まれている人がいる。

仕事で、自分より評価されている人がいる。

別に、その人から何かを奪われたわけではない。

相手が何か悪いことをしたわけでもない。

ただ、自分が欲しいものを、その人が持っている。

それが気に入らない。

「いいなあ」と思うだけなら、まだいい。

でも、その気持ちが、

「なんであいつばっかり」という方向に進んでしまうことがある。

これが、妬みのイメージに近い。

つまり、妬みの中心にあるのは、自分と相手を比べたときに生まれる、自分にはないものへの不満だ。

相手が持っているものが気になる。

そして、それを持っていない自分が気になる。

相手を見ているようで、実は自分の不足を見せつけられているのかもしれない。

なかなか面倒くさい感情だと思う。

ひとことで「ないものねだり」だろう。

嫉妬は「自分が持っているものを失うこと」が気になる感情

一方、嫉妬(jealousy)は、心理学では、大切な人や関係を、

第三者に奪われるかもしれないと感じたときに、生じる感情として説明されることが多い。

例えば、恋人が自分以外の異性と親しそうにしている。

自分の知らないところで、親友が別の人と仲良くなっている。

自分が大切にしている人が、ほかの誰かを優先している。

こういう場面では、

「自分よりあの人のほうが好きなのかな」

「自分の居場所がなくなるんじゃないか」

「いつか自分は必要なくなるんじゃないか」

という不安が生まれる。

妬みが「相手の持っているものが欲しい」という感情だとすれば、嫉妬は「自分が持っているものを失いたくない」という感情に近い。

もちろん、実際には両方が混ざることもある(だからめんどくさい)。

恋人がほかの人と親しくしているとき、その相手の魅力をうらやましく思うこともあるだろう。

その場合には、嫉妬だけでなく、妬みも生じているのかもしれない。

2つの違いを、もう少し簡単に考えてみる

例えば、同じ職場に、自分より仕事ができる人がいるとする。

その人が評価され、昇進した。

それを見て、

「いいなあ。自分もあれくらい評価されたい」

と思う。

これは妬みに近い。

では、その人が自分の仲のいい同僚と親しくなり、自分よりも頼られるようになったらどうだろう。

「なんか面白くないな」

「自分より、あいつのほうが信頼されているのか」

「自分の居場所がなくなったら嫌だな」

こうなると、嫉妬に近い。

整理すると、こんな感じだ。

  • 妬み: 相手が持っているものを、自分も欲しい。
  • 嫉妬: 自分が大切にしているものを、相手に奪われたくない。

ただし、これはあくまで基本的な区別だ。

日本語の「嫉妬」は、妬みに近い意味でも広く使われる。だから、日常会話で「嫉妬した」と言ったからといって、必ずしも心理学的な意味でのjealousyとは限らない。

言葉としての使い方と、心理学で感情を分類するときの使い方は、少し違うのだ。

妬みも嫉妬も、結局は他人が関係している

ここまで考えると、もうひとつ共通点が見えてくる。

どちらも、自分ひとりでは生まれにくい感情だということだ。

誰かと比べる。

誰かの存在が気になる。

誰かとの関係が変わることを恐れる。

つまり、他人がいるからこそ生まれる感情なのだと思う。

ひとりで生活していて、誰とも比較せず、誰とも関係を持たなければ、少なくともこうした感情が生まれる場面は減るだろう。

ただ、人間は社会の中で生きている。

仕事でも、友人関係でも、恋愛でも、他人と関わらずに生きるのは難しい。

そして、他人と関われば、どうしても比較が生まれる。

自分より好かれている人がいる。

自分が大切にしている人が、ほかの誰かを大切にしている。

そういうことが気になってしまう。

頭では「別に気にしなくていい」と分かっていても、感情は勝手に反応する。

そこが厄介なのだ。

この感情は、なくしたほうがいいのだろうか。

妬みも嫉妬も、できれば感じずに済ませたい。

他人の成功を素直に喜べたらいい。

大切な人を、余計な不安なく信じられたらいい。

そのほうが、たぶん楽に生きられる。

でも、こうした感情には、自分が何を欲しがっているのか、何を大切にしているのかを知らせる側面もある。

妬みを感じる相手には、自分が欲しいと思っているものがあるのかもしれない。

嫉妬を感じる関係には、失いたくないものがあるのかもしれない。

そう考えると、嫌な感情だからといって、すべて無意味というわけでもなさそうだ。

ただし、妬んだからといって、その相手と同じものを手に入れる必要があるとは限らない。

嫉妬したからといって、相手を疑ったり、束縛したりするのが正解とも限らない。

感情が何かを知らせてくれることと、その感情に従うべきかどうかは別の話だ。

まあ、そんなことを冷静に考えられるなら、そもそも苦労していない気もするけれど。

誰かをうらやましく思うこともある。

大切な人を取られたくないと思うこともある。

そのたびに、自分の嫌な部分を見せられたような気分になる。

でも、妬みも嫉妬も、別に自分だけが持っている特別に嫌な感情ではない。

人間が他人と関わりながら生きている以上、簡単にはなくならないものなのだろう。

せめて、自分が今感じているのは何なのか。

相手の持っているものが欲しいのか。

それとも、自分の大切なものを失うのが怖いのか。

その違いくらいは、考えてみてもいいのかもしれない。

恋愛なら、片思いなら妬み(envy)で、両思いなら嫉妬(jealousy)といったところか。

……まあ、分かったところで、すぐに気持ちがすっきり収まるわけでもないんだけど。

人間の感情は、そんなに都合よくできていない。

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